神埼まちあるき(7) 脊振往還を歩く

2013/09/23

神埼まちあるき 《かんざきを歩こう 散策コース・マップ》

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神埼まちあるきの第10回目は、脊振町広滝の岩政倉今地区を紹介します。城原川が平野部に流れ出る谷口にあたり、周囲を山に囲まれた「政所」・「今屋敷」・「岩屋」・「倉谷」の4つの集落が営まれています。神埼市となったときに四つの集落名の一字を組み合わせ、「岩政倉今」となりました。縄文時代の遺跡や神埼荘に関連すると考えられる「政所」地名や神社、さらには、戦国期の山城跡などが残されています。さらに、城原川の水と地形を活かした明治に建てられた現役で稼働する水力発電所などが見所です。

高取山公園と広滝

高取山公園

脊振町広滝は、脊振の政治経済の中心地として古くより栄てきました。「広滝」の地名は、『脊振村史』によると中ノ原に三段の滝があり、その落下する響きが峡谷に轟いたことから起こったと伝えています。滝の東には標高約372mの高取山があり、一帯は高取山公園として整備されています。約200mに及ぶローラースライダーやリフト、草スキーなども整備され休日には子供たちで賑わっています。園内には、700本もの桜やツツジ、アジサイ、シャクナゲ、モミジなどが植栽され四季折々の花を楽しむことができます。駐車場横には、物産を販売する高取山公園 わんぱく館があり、シイタケや柿・干し柿などの特産物が販売されています。

 *第2・4水曜日は休館です。

脊振往還の面影を残す「草富峠」

 

広滝側より見た「草富峠」

 高取山駐車場東の道路を南に向かうと、杉の巨木が立つ「峠」があります。この道路が、旧脊振往還で、神埼から仁比山を通り、政所、今屋敷から高取山の東麓を上りこの峠に至り、広滝を経て椎原峠へつながる旧街道です。

 峠に立つ杉は、「高取山の頂上から刀を投げたところ、鞘が落ちた所」と伝えられ、「さやの神」と呼ばれています。さやの神は、「道祖神」と思われ路傍の神で、集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる交通安全などの神です。現在でも、地区の人たちにより下草刈りが行われ、注連縄を張り祀られています。杉は、幹回り5.8m・樹高20.0mの巨木です。

 

 

「峠」に立つ杉の巨木 「さやの神」

南から見た「峠」 

     切通しの左側に杉の巨木がある。

岩屋と毘沙門天堂

毘沙門天堂

 峠より林道を道なりに南下し岩屋地区へ至ります。

盆地の西端に位置する集落です。文献では、正応5年(1292)の『河上宮造営用途支配惣田数注文』に「岩屋七反」と見えます。また、元徳3年(1331)の『鎮西探題後教書案』には「仁比山岩屋寺」とあり、当地には天台宗の寺が多くあったと伝えらる寺の1つと考えられています。江戸時代には、佐賀本藩領口山内に属しています。

 集落の西に毘沙門天を祀る小さなお堂があります。毘沙門天は、四天王の一人で日本では財宝や福徳を与える神様として七福神の一人として祀られます。女の子の祭りとして豆を集めて炊いて参拝者に配る毘沙門天祭が行われていましたが、現在は行われていません。

また、対岸の城原川右岸には、地元で「権現さん」と呼ばれる石祠が祀られています。脊振地区の三十三所霊場の第2番「岩屋岩間観音」とsれていました。本来、内部に石仏が祀られていましたが、盗難にあい現在は失われています。石祠には、「明和七(1770)寅九月吉日 岩屋村」と記されています。

集落の北端には、地蔵尊が祀られ、7月15日頃に「地蔵さん祭」が行われています。

 毘沙門天堂より県道沿いに下り「政所」へ

 

 

広滝発電所と奥に「草富峠」が見える。

「政所」と「今屋敷」の集落

何を意味するのか 「政所」の地名

一の橋バス停

一の橋のバス停より左に曲がると「政所」の集落があります。

「政所」の地名は、一般的には役所的な施設である政庁や荘園の管理等を行う施設を意味する名称です。この地名が、脊振の山間部にあるのはどのような歴史がそこにあるのでしょうか。

神埼は、皇室領荘園である「神崎荘」が経営されたところです。市内各地には、「里」の付く地名や「用作」などの歴史的地名が多く残され、当時の神崎荘の様子を伺うことができます。この「政所」地区には、歴史的背景を知ることができる文献資料や考古学的な情報がなく、この地名の意味するところは不明ですが、神崎荘と関連する地名と考えると、荘園の領域が山間部まで及び、倉谷や鳥羽院などの地名の存在とも併せて興味深い地名です。

 政所地区は、神埼より仁比山を経て、椎原峠を越え筑前に至る脊振往還が二分するところです。政所より高取山の東麓を通り草富峠を越え広滝に出て、一番ヶ瀬・服巻・伊福を経て一谷に至り椎原峠を越え筑前に至る幹線と東に分かれ倉谷を通り、白木・伊福・一谷へ至る脇道があります。また、西へ城原川の渓谷を渡り鹿路に至る道もあったようです。

 一の橋には、市が開かれ、薪炭・干柿・葛粉・栗・山芋・蒟蒻などが集められていたようです。

 

「政所」公民館

「広滝第1発電所」へ至る道

 

 現役九州最古の水力発電所

 明治33年(1900)頃より、脊振広滝の地は水力発電所の適地として浮上しています。その背景には、佐賀県出身の電気工学博士で東京大学の野中初子博士や京都大学のドイツ人ゲーリックらの水利や地形などの調査成果により現実的な水力発電所建設構想となっています。

佐賀出身の御厨袈裟一による広滝水力発電所の設計書が東大の卒業論文として提出され、また、鹿島市出身の牟田万次郎による城原川の水利権獲得により計画が具体化していきます。

明治39年11月には、佐賀商業会議所内に広滝水力電気株式会社が、中野致明、伊丹弥太郎、下村辰右衛門、牟田万次郎、深川文十等により設立され、明治40年7月14日に起工式が行われ本格的に工事が着手されています。

建設工事には、煉瓦157万個、セメント42000樽、火山灰7000俵、石炭6000俵、鉄管は大型並型320本の膨大な資材が使われています。水の取水口は、現在の脊振支所の北の城原川より取られ、総延長約2700mで内237mがトンネルで二か所のサイホンが設けられています。発電所の北阿弥陀山に排水所があり、ここより鉄管により麓の発電所に水を流す仕組みとなっています。落差は約175mで、発電所には、ドイツフォイト会社製の800馬力の水車とドイツシーメンス、シュッケルト会社製の15000ボルトの発電機2基が据えられました。1年3カ月の工事を経て明治41年4月に完成し、同年10月より送電が開始されています。 『脊振村史』より

 現在、九州で最古の現役で稼働する水力発電所で、煉瓦造りの洋風建築物と明治期の近代産業遺産として貴重な遺産です。

 

広滝第1発電所(左)と水を送る鉄管

 

 倉岡神社を祭る「今屋敷」と「倉谷」

政所より北へ倉谷川を渡ると今屋敷入口の看板が見えてきます。今屋敷は、山腹の斜面に営まれた小さな集落で、「倉岡神社」が祀られています。

倉岡神社は、倉谷地区の倉岡神社と同名の神社で、『神埼郡村誌』では、今屋敷の神社を「倉岡神社」、倉谷地区神社を「倉谷神社」と記されています。明治41年に倉谷の倉岡神社に合祀されています。境内にある鳥居には、文久3年(1863)に今屋敷地区の牟田参河宗廣ほか14名により奉獻された鳥居です。額束には「倉岡宮」と彫られています。

倉谷の倉岡神社との関係が注目される神社です。

 

倉岡神社の鳥居

今屋敷に祀られる倉岡神社

 

 倉谷の倉岡神社

 倉谷の前田と呼ばれる位置に祀られ、祭神は素戔嗚尊です。『脊振村史』によると、「人皇第12代景行天皇、西国平定の際、神埼を経てこの地に登り、倉庫を今の社地に置かれた。時にその地から5、6町西に大蛇が出て往来の人を害した。天皇がこれを退治されると、その威風におそれて、賊らみな降参した。そこで倉庫を置かれたところに、素戔嗚尊を祀り倉岡社と呼んだ。」と伝えるとあります。また、神崎荘の総鎮守である櫛田宮とは、御幸大祭の際櫛田宮の御神体の神輿御神輿かつぎに、古来倉谷の人が出るならわしとなっています。

境内には、猿田彦大神、英彦山大権現石祠、金比羅大権現石祠、木荒神石祠、大神宮塔などの石造物や杉などの巨木を見ることができます。

 明治41年に無格社五社を合祀されています。

倉谷の倉岡神社鳥居

倉岡神社の社殿

境内に祀られる石造物

樹齢260年のイチョウの巨木

 

倉岡宮を過ぎると、倉谷の集落となります。周囲を仏ノ辻山、大高山に囲まれた山間谷部に位置しています。江戸時代には、蔵谷山・倉谷山村とも呼ばれています。

周辺の斜面に棚田が形成され耕作が行われ、干柿・葛粉の産地として知られており、江戸時代には毎年藩主に献上されていました。現在も、倉谷柿として特産品となっています。

 

谷部斜面に営まれる倉谷地区

倉谷の特産品 倉谷柿

 

 戦国期の山城跡 今屋敷城塞跡

倉谷から見る今屋敷城塞跡

 佐賀県による佐賀県中近世城館跡緊急分布調査により確認された山城で、倉谷地区の西方に聳える標高365mの山上に位置しています。東西約280m・南北約200mの範囲に、曲輪、堀切、竪堀などの遺構が残されており、地元では、城全体を出丸と呼ばれるが、城主や城名は定かではありません。

倉谷と櫛田宮は非常に密接な関係があり、南北朝期頃には伴兼慶が倉谷に別館を構えたとされ、倉谷・倉岡宮とこの山城の関連が伺える城跡です。

 

 

 

今屋敷城塞跡 縄張り図   『佐賀県の中近世城館』佐賀県文化財調査報告書第201集より転載

 山城を望みながら道なりに緩やかに登る道路を高取山公園へ

 行程 8.4㎞です。

 


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